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  • 菅崎園地と駆逐艦春雨殉難記念碑

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    菅崎園地と駆逐艦春雨殉難記念碑
  • 常永久(とことわ)の鐘

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    常永久(とことわ)の鐘
  • 菅崎園地景色

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    菅崎園地景色

  • 菅崎園地と駆逐艦春雨殉難記念碑

  • 相差
  • 名所・旧跡
住所 相差町
アクセス 【交通機関】
鳥羽バスセンターから、かもめバスで約40分相差下車
バス停より徒歩約30分
【車】
伊勢道伊勢ICから約50分
交通機関 かもめバス

明治時代に座礁し、沈没した「駆逐艦春雨(くちくかんはるさめ)」の殉職者慰霊塔。死者45人という大惨事で、その救助活動には地元の青年団や漁師、海女たちが多数参加したといわれている。
広大な海に向かう石碑が、当時の様子をかたりかけてくるよう。
菅崎園地にはまた、鳥羽エコミュージアム事業の一環で建設された春雨展望台があり、太平洋や的矢湾が一望でき、地球の丸みを感じられる水平線、リアス式海岸の向こうに沈む夕日の眺望が楽しめる。
また、展望台に設置された「常永久(とことわ)の鐘」は自然や慰霊の心をとこしえに伝えて行きたいとの願いを込めた癒しの鐘。

駆逐艦春雨(排水量381t)は、僚艦「磯波」「綾瀬」と共に1911年(M44)11月23日、横須賀軍港を佐世保軍港へと出帆。同日夜間に嵐に遭遇、避難のため的矢湾に向ったが、24日午前0時菅崎付近に座礁し、司令大瀧道助中佐、艦長児玉兼三郎大尉を含め乗組員64名中44名が亡くなる大惨事になった。僚艦は沖合いで嵐をしのぎ、翌朝、岸近くに目にしたものは春雨の煙突4本のみと記録は伝えている。
このとき、長岡村相差と安乗村の村民が嵐の中、総出で救出にあたり、海から挙げた瀕死者を女性が交替しながら、体温で暖め蘇生させるなどの必死の努力がなされた。
その後殉職した乗組員の霊を供養するため記念碑が建てられ眺望のよい記念碑公園(菅崎園地)として整備された。碑の文面は慰霊碑ではなく殉難記念碑となっており、殉難者の慰霊と救助に当たった村人の献身的な努力を称えるという2つの意味を持っていると思われる。毎年11月24日に殉勤供養祭が執り行われている。